めっちゃ貧血です。≫≫≫からの、健康体。

変だなぁ、気になるなぁとか思ったことを、ちまちまと。

職種間ヒエラルキーについて。その2

こんばんわ。

 

先日、職種によるヒエラルキーに対する私の考え方をお話ししました。

 

専門職と事務職とで構成するうちの職場で、私は専門職側。今の考え方でいくと「事務の味方」「事務をかばって」るらしいです。

 

全くそんなつもりはなく、自分にできない事務仕事をしてくれてる人達を、対等に見ているだけです。

 

でも、それをどうやら気に入らない専門職の方もいるのが、残念ながら、わかってきました。

 

本来は、こちらがやるべき仕事を、今の長がほぼ無理矢理事務サイドに押し付けて来た部分を、パワーバランスが崩れたことで、本来の在り方に戻しつつあるだけなのです。

それに対してなぜか嫌な顔をしてくる人がいる。だからといって、私の態度はかわりませんが。

 

なんなんやろうなぁ?

ちっさい職場やのに、なんで上下関係作ろうとするかなぁ?

年のせいで、覚えが悪いとか私に事務の方への文句を言ってくるけど、私に言わせりゃ「あんたもな。」って感じですからねー。 

みんな、老いるんだから、仕方ないじゃない。

 

ま、そんな他人のくだらん思いまで、わかんなくてもいっか。いろんな人がいるもんね。

 

何を言われようと自分が大事にするものに対して、揺らがなけりゃいーだけの話だもの。

ね。(*´・ω-)b。

 

 

 

職場でのヒエラルキーって、いる???

こんばんわ。

 

最近、職場のことをよく考えます。

どこでも大抵そうですが、一つの職場には様々な職種がいます。

一つの職種だけのところもあるでしょうが、普通は専門職もいれば、事務員もいるみたいなかんじでしょう。

 

うちも、そうです。専門職と事務員で構成されています。

事務員といえど、ある意味「専門」で事務作業をしてくださっている人と、私は認識していました。要は、お互いに専門に扱う部門が違うというだけのことだと思っていました。

だから何度も「先生」と呼ぶのは止めてくれと頼みましたが、そういう風土があるようで未だに「さん」付けでよんでもらえないのが心苦しいのです。

それはさておき・・・

 

よっぽどでない限り、職種が違うことで職場に「ヒエラルキー」って必要でしょうか?

私は「不要」だと思っています。

 

だって、言いたいことが言いにくくなるし、一度そういうことがあると、風通しもわるくなる。そういう吹き溜まりが出来ると、溜まり水が腐るのと同じように、よからぬものが生まれてくるからです。

 

私はここで言う専門職側ですが、同職種のあるパートさんからこんなことをいわれました。

 

Aさん「あの人たち、事務のくせに一日座ってて、おしゃべりもする。私達はずっと立っているのに。」

私「・・・」

 

内心ちょっとびっくりしました。自分では特に気にしたことが無かったから。

事務職だから、メインの仕事はパソコンを打つことだけ。まぁ、座っているのが当たり前。逆に、座り続けているのもしんどいと思います。

一方、私達は狭い場所を動き回り、記録をする時にはパソコンを使う。座れる時には、もちろんいつでも自由に座れる。ある意味自由に動けるのです。

 

なのに、何が不満なんだろう?

 

確かに、事務の職員は、一息ついたときに座っておしゃべりしているときもあります。でも、そもそも忙しくて、途中休憩もろくに取れない職場なので、ちょっとくらいは一瞬暇になった時に、ふっとお互いのことを話して、肩の力を抜いて、また忙しさに備えるのは、私的には何の問題も無い話かと思っていましたし、今もそう思います。

それに、若い子が話していると特に何も言わないのに、40代のパートさんに対してだけというのも、何か引っかかります。

 

確かに20代と40代では、仕事の覚え方が違います。年には勝てない。でも、それってみんなそうでしょ?

それに、人によって仕事をこなすスピードには個人差があります。それも、変な話、年には勝てない部分っておおいにあるでしょ?

 

Aさんが、全てパーフェクトで、一言の文句も言えないような仕事ぶりならばいいですが、私から見るとそうでありません。

はっきり言うと、年には勝ててない。

 

そもそも専門職は事務職の上になるものではないし、並列です。上から目線はあまりよくないよなぁ。そんなふうに思います。

 

いろんな人がいて、社会が成り立つように

いろんな人がいて、会社が成り立つのです。

それぞれの人の違いをお互い認め合うことが必要じゃないかなと思います。

 

人の悪いところにケチつける暇があったら、パートだからとか言い訳せずに、死に物狂いで仕事をすべきでしょう。言い方は悪いですが、出来てない部分が自分にあるならば、人のことなどどうでもいいはず。それよりも自分が出来てない部分をどう乗り越えるかの方が、大きな問題です。そちらにAさんには取り組んでほしいので、うまく気づいてくれるように話をできたらなぁと思います。

 

最期に・・・

職場でのヒエラルキーは無いほうが、職場は円滑に回る。

だから、職場でのヒエラルキーは、いらない。

そんなふうに思った今日この頃でした。

 

あぁ、気がつけば・・・

もう二月・・・

 

みなさま、お越しくださってありがとうございます。

 

新年の目標を立てて

日々更新しようと思いつつ

気がつけば本日二月二日。

早いすぎる・・・

 

年を重ねるごとに

時間が早く過ぎ去っていくのは

何故なんでしょうね。

 

ただLUCKYなことに

忙しいけど

体はとっても元気☆

 

毎日ついてることがあります!

 

自分の中にある幸せを感じることが出来るので

まぁ、このままでいいか~

今週のお題「2018年の抱負」

「2018年の抱負」

まずは、自分自身を大切にして
毎日を生きる。
時に辛抱は必要だけど、我慢は無意味。

一度きりの人生だから、楽しい人生になるようにいつもニコニコしていようと思ってます(^-^)v

体は心で、心は体。

 

こんばんわ。

 

去年は、意味がわからない程、忙しかったです。

 

転居後、半年経って…

さて、ゆるゆる楽しもうかなぁという予定が、去年は年が開けたと同時にひっくり返って…

 

体力的にも全くその忙しさについていけなかった…

 

でも!

 

その忙しさのお陰で痛かった膝の痛みも消え、膝の幅位になった足首の浮腫も消え、気がつけば「しんどい」と思うことがなくなってました。

 

そもそもが病弱で、目が開いてる限りしんどいと感じていた私にとって、今が奇跡のような日々なんです。

 

「しんどくない」

めちゃくちゃスゴいことです、私にとって。

(`・з・)ノU☆Uヽ(・ω・´)

 

今までだったら、しんどいから動きたくないがベースにあって、且つ、面倒臭いから更に動かなかったんです。

 今は単に面倒臭くて動くのやだな~とか思ってるだけで、しんどくない。

 この差は本当に大きいです。

 

 

健康って、何よりの宝物なんですね。

こんな当たり前の事がなかなか実感できないくらい、健康な自分と出会った事が私はなかったようです。だから、これからは今の状態を維持できるように、心もしっかり保とうと思っています。

 

不健康だから心が弱り、心が弱ってるから更に不健康になる。

折角この悪循環を、ラッキーなことに私は断ち切ることが出来たのだから✨

 

占いでいつも出てくる「大器晩成」とは、この事を指してたのかしら。

ってことは、もう晩成の域に入ったのね、私

(;^∀^)

 

仕事納め

お越しくださって、ありがとうございます!

 

いやぁ、怒涛の一年間の仕事が

本日無事終了いたしました。

 

今年は、本当にえげつなく面白い一年となりました。

人生の中で自分が思い描く予定と言うものが

こんなにもことごとく打ち砕かれていくものなのかと

身をもって知った修行の一年ともいえます。

 

今までの行き方を振り返ってみて、仕事に対する姿勢は

もっとローペースにしてやっていこうと思った今年の初め。 

あけたと同時に、夢にも思わぬハプニング。

そこから約2ヵ月後から、激しい修行の日々が始まったのです。

 

かなりいろんな葛藤がありました。

その中で職場の仲間に支えがあったからこそ

常に笑顔で乗り越えていく工夫もしようと思う気持ちに。

 

余計な思考をシャットダウンし

がむしゃらに仕事に向かうことで

緻密な計画と緻密な作業行う事が私のテーマになりました。

 

そうしているうちに

誰よりも早く、正しく、丁寧で、美しい仕上がりで

仕事を仕上げることが出来るようになりました。

 

自分では当たり前となっていたことが

他の同僚からほめてもらえると嬉しくて、

それを励みにまた頑張る。

いつの間にかよい循環が生まれていました。

 

笑顔が笑顔を呼ぶということも

よくわかりました。

 

振り返ると、確かにしんどかったけど

そこから掴んだものは、大きかったと思います。

 

来年は、今よりも穏やかに

特に大きなこともお仕事では起こらなければいいなと思ってます。

 

 

予定は未定で確定ではない。

んでもって、

ころんだってタダでは起きないもん!

必ず、何かつかんで起き上がって走ってみせる。

 

でも、今日は寝よー!

 

 

お読みくださって、ありがとうございました☆

 

 

 

 

病気になるっていうことは

お越しくださって、ありがとうございます!

 

あっという間に12月も半ば近くになりました。

みなさん、お元気ですか?

 

毎日、色んなお話を仕事柄聞かせていただきます。

みなさん、毎日とっても忙しい。

そして、頑張っていらっしゃる。

素晴らしい。

 

ただ・・・

 

頑張ることは素敵だし、いいことだけど

自分の体の悲鳴になかなか気がつかない人もいらっしゃいます。

気づけないほど忙しいといった方が正しい気もします。

 

 

体調のお話を聞いていくと、だいたいその方のハードな日常生活が

浮かび上がってくるのです。

でもそれは、診察では話してないことが多い。

 

特に女性の悩みの場合、ドクターが男性だと

やっぱり話せなくて・・・と言われます。

もっともな話です。

 

 

ここで本題。

 

病気とは

普段の生活の無理が引き金であり

結局、生き方の失敗を体が私たちに教えてくれているサインなんです。

 

それを体がさも失敗してるみたいなかんじで

薬をどんどん飲んで、でも治らなくてというようなことになっていますが

ちょっとそれは違うと私も思っています。

 

あえて「も」と書いたのには、理由があります。

これを教えてくださった方がいるからです。

お亡くなりになりましたが「安保徹先生」です。

先生の書籍が私を考え方の迷路から助けてくださいました。

 

今まで点でしかわからなかったことが

どんどん線になってつながっていく。

そう私を導いてくださったのが、本の中の安保徹先生でした。

 

 

忙しすぎる皆さん

病気になった時に、薬を飲んで症状を抑えてまで

仕事をするのは止めて、ちゃんと休みましょう。

 

そこまで無理して働いても、社長はほくそ笑んでるだけ。

そんなことしている間に、自分の体はどんどん傷つくわけで

将来そういうことの積み重ねで、もっとひどい病気になったとしても

保証もなにもしてくれないわけですから。

 

自分を大切にしてくださいね。